12月29日、金曜日。
刈谷あたりで目がさめる。ぐっすり眠っていたので途中の事は全然覚えていない。向かいのシートの帰省組は静岡で弁当を買ったらしく、空になった弁当箱が足元に置いてあった。
寝ぼけまなこのまま、新しく完成した金山のホームに降り立つ。名鉄や中央本線との乗り換えの総合駅である。駅の構造がどうなっているのか見たかったが、次の列車まで9分しかないのであきらめる。
入ってきた中津川行はロングシート車。おまけにシュプール号からの帰りなのか、スキー用具を持った高校生で座席は埋まっていた。
すっかり明るくなった頃、中津川に到着。
中津川で発車を待つ松本行
切符に下車印を押してもらう。駅員が切符に見入っていた。裏もしげしげと見て、
「23日間有効なんですか。頑張って下さい」
と、激励されてしまった。
中津川からはクロスシートの並んだ165系急行型なので安心する。初めて乗る区間なので、車窓をしっかり見ようとするのだが、いつの間にか眠ってしまうことが何回もあった。N田氏は何度か乗ったことがあるためか、すやすやと眠っている。
寝覚ノ床らしい渓谷が見えたが、普通列車のためか何のアナウンスもなかった。写真で見たことのある渓谷が見えたようだが、本当にそれが寝覚ノ床かわからずじまいになる。
車窓に少しずつ雪が見られるようになった。このまま行くとひょっとして…と雪景色を期待するが、雪は深くならないまま塩尻に到着。
塩尻で旅行貯金をしようかとN田氏に郵便局の場所をきいたら、駅から離れているので時間的に無理とのこと。
辰野行は169系の3両編成。乗車率は10パーセントあるかないかだった。おかげで左右どちらの車窓も楽しめる。
昔のルートをたどる辰野行(塩尻駅)
頻繁に出入りしている列車の合間にそろりそろりとお邪魔しているような感じで発車。今走っている線路は塩嶺ルートの開通によって旧線になってしまったのである。旧線は山沿いを走っていく。車窓左手の少し離れた所にコンクリートの高架線が見える。塩嶺ルートの新線である。
高架線をこの列車の2分後に発車した茅野行が走っている。しばらく並んで走っているのが見えたが、旧線が右にカーブして山間を走るようになると見えなくなってしまった。この区間に乗るのは初めてであるが、塩嶺ルートが開通するまで特急「あずさ」がひっきりなしに走っていたとは思えないほどローカル色が強い。「あずさ」が走らなくなったからローカル色が強くなったのだろうか。もしかすると、「あずさ」が旅情を置き忘れたのかもしれない。
やわらかな陽を浴びている残雪を見ながら辰野に到着。ここで水戸から一緒に旅してくれたN田氏とお別れである。N田氏は辰野から飯田線に乗って大阪へ帰るのである。今日中に戻らないといけないらしいが、いい打線の車窓を楽しむなんてちゃっかりしている。
岡谷行は119系の2両編成。満席で終点まで立たされる。クロスシートに白いカバーがかけられていた。JR東海オリジナルのシートカバーである。車掌の制服もJR東海のものになっていた。塩尻からはJR東日本であるが、飯田線は辰野の隣の宮木からJR東海になるので、N田氏は四駅ばかりJR東日本にご挨拶してJR東海に戻ることになる。
これからどこまでが一人旅になるのだろう。予定を何人かに知らせてあるので、どこかでばったり会うかもしれない。
岡谷で下車印を押してもらう時、駅員が切符を乱暴に扱ったので少し折れ曲がってしまった。
岡谷駅は上を中央自動車道がまたいでいる。
岡谷発10時30分の甲府行は臨時列車が走る関係で39分の発車となる。待ち時間が19分になったものの、岡谷駅は町はずれにあるようで郵便局は見当たらず、ここでも旅行貯金はだめだった。
辰野から乗った列車(岡谷駅)
臨時特急「かいじ」
列車は複線区間を軽快に走る。時おり、「あずさ」や「かいじ」が駆け抜けていく。
上諏訪の一番ホームに到着。岡谷の発車時刻が遅くなった関係で2分停車である。ホームに露天風呂がある事で有名な駅なのだが、ちらりと見えただけだった。
甲府では3分しかない。甲府焼肉弁当(620円)をホームで買って列車に乗り込んだらもう発車である。駅前に郵便局があることは知っていたが、これでは行きようがない。長距離の乗り継ぎの旅では時間にゆとりを持ってのんびり行くようにしないといけない、と思った。これからもこんな調子で乗り継いでいくので、観光したいところをたくさん通るのだが、観光する暇が無い。