東大生と日本海とJR東海

 左側の車窓をしばらく見ていたが、右手に日本海が見えるようになると、どうも気になってしようがない。日本海の車窓をどうしても見たくなったので引っ越す。今まで急行「きたぐに」で眠りながら通っただけなので、しっかりと車窓を見る。

 車内を見渡すと、地元の人よりも旅姿の人が多いのに気がついた。私が引っ越したシートに座っている人も旅行者風。同じように車窓に見入っている。話しかけてみると、東京から山口まで「青春18きっぷ」を使って行くという東京大学のM氏。北陸を回っていくなんてただ者ではない。なぜ北陸まわりで?

「日本海を見たかったのと、JR東海を経由したくなかった」

 それでは、なぜJR東海を経由したくないのか?

「JR東海の車両はロングシート車ばかりで、しかもトイレがついていないから」

 そのことに対するレジスタンスの意味もあるそうだ。やっぱりただ者ではなかった。私の切符を見せると、びっくりして見入っていた。

 旅行者風の人達は東京からほとんど顔ぶれが変わっていないと教えてくれた。床を見るとなるほど、横川の駅弁「峠の釜飯」の空容器が置いてあるのが見えた。昼の時間帯なので、釜飯の包みを解いている姿も見られた。

「今夜はどこに泊まるんですか」

 M氏に聞いてみた。

「まだきめていないんだ。たぶん、敦賀あたりになるだろう」

 左手にはうっすらと雪を被った立山連峰が見える。

 さて、お昼にしよう。

 直江津で買った「かにずし」を開ける。カニの形をしたふたを開けると、ご飯の上にカニがびっしりと乗っていた。少し酸っぱいのは寿司だからだろう。(当たり前か)

 M氏は早朝に家を出る祭におにぎりを作ったそうである。これで昼食代はただ。食費を浮かせる常套手段で私もよく活用している。

 魚津から富山地鉄と並んで走る。そして富山をめざす特急と競争する。こちらがリードしたと思ったら抜かれる。何度かデッドヒートを繰り返しているうちに特急が駅に停車して幕。

 いろいろと雑談しているうちに富山に到着。 

本文

禁煙車をつけんかい!

 北陸本線の乗り継ぎもあまり時間がないので、森松氏とホームで別れる。窓口で岐阜までの急行券を買う。ホームに戻ると急行「のりくら6号」の発車時刻。8分というのは実に短い。

  急行「のりくら6号」は2両編成で発車した。どちらも自由席である。シートにはJR東海の特徴というべきシートカバーがかかっている。JR東海の車両なのだ。困ったことに禁煙車がない。2両編成ならどちらか一両を禁煙車にしてもらいたい。

JRのテリトリー

 「乗車券、急行券のないお客様はいませんか」

 車内をJR東海の制服の車掌が巡回している。車内で買えば、JR東海の収入となる。駅はJR西日本なので駅で買えばJR西日本の売上となる。それで熱心に巡回しているのだろうか?

 私は富山駅で急行券を買ったから、M氏のレジスタンスに協力(?)したことになる。杉原からJR東海のエリアに入る。特急「北アルプス」と交換する。

 今度はオレンジカードの販売を始めた。オレンジカードの販売はお互いのナワバリを尊重しているようである。 

川らしい川

 トンネルをくぐる度に雪が深くなってきた。

 宮川に沿って列車は走る。見事に雪化粧しているのでしばらく見とれる。うれしいことに護岸工事が施されていない「川らしい川」だ。

 日本から川らしい川が消えようとしている。川沿いに走る車窓からコンクリートの壁が目立つ所が多い。護岸工事をすると単に景観をそこねるだけでなく、川の持つ本来の機能が失われてしまう。自然に対してどこまで手を入れる必要があるのだろうか?これ以上自然が破壊されないようにしてほしいものだ。

 高山で6分停車。ここで前に6両増結する。グリーン車や指定席車が連結されてやっと急行列車らしくなる。自由席には「たかやま」などと書かれた紙袋をたくさん手にした家族連れがたくさん乗ってきた。

 増結編成の中に禁煙車があったので、禁煙車の4号車に引っ越す。こんなことなら富山からの編成にも禁煙車をつけるべきである。高山―名古屋間の乗客を優遇しているのか。長距離の利用者も尊重して欲しい。

 JR東海の近郊型電車のトイレをつぶすのは「もうけ主義」のため?M氏の言っていた事が分かるような気がする。

 飛騨一宮で特急「ひだ5号」と交換。引退間近のキハ82系。「ワイドビューひだ」の登場によって高山本線を元気な姿で走るのもあとわずかである。

 小学生の頃から「あさしお」(京都〜城崎・米子)や博多から新大阪まで走っていた「まつかぜ」、「にちりん」など82系の活躍を見てきたが、まだ乗ったことがない。全廃される前に一度は乗ってみたい車両である。

 飛騨小坂から雪が少なくなってきた。 

大晦日の列車

 高層ホテル、旅館などが目立つようになり下呂に到着。ホームの洗面所にも温泉のお湯が出ている。2分停車と短いので見るだけ。もうすっかり暗くなってきた。

 飛騨金山で急行「奥飛騨」を抜く。ユーロライナーの展望車に14系座席車がはさまれた形の編成で停車していた。時刻表を確かめるまで、てっきり飛騨金山始発だと思っていた。乗客の姿がほとんど見当たらなかったからである。

 高山、下呂から乗ってきた乗客で、車内の雰囲気は帰省客で込んでいる状態となった。大晦日の列車は混雑するものだろうか。今までは家や親戚の所でのんびりと過ごして新年を迎えていた。そのためあまり移動が無いものとばかり思っていたが、大晦日というのと全く関係ないようである。移動する人が多いのには驚いた。

 パチンコのネオンがやたら目立つようになる。名古屋はパチンコの発祥地。中京都市圏に入ったのだと実感する。

 高架化工事の進んでいる岐阜に到着。キヨスクで夜食用のパンを買っておく。

 米原行の電車は転換クロスシートの117系だった。ロングシートでなくて本当によかった。

 近江長岡あたりでは雪が降っていて、雪がうっすらと積もっているのが見えた。ここからさらに雪景色が楽しめるか?米原の広大な構内は雪に覆われているのでは…と期待したが、大いに裏切られた。

 雪の全然ない米原に到着。

速くて寒い新快速

 米原からはJR西日本。新快速も117系だろうと思ったら、ニューフェイスの221系だった。いろんな車両に乗れてうれしい。乗り継いでいく列車が全部同じ形式だと、やはりおもしろくない。いろんな車両に乗れるのも乗り継ぎの楽しみである。

 発車までかなり時間があるのに三つのドアは開きっぱなし。車内がだんだん冷えてきて寒い。車両の真ん中のドアを閉めるとか、半自動ドアにするなどして車内を冷えないようにして欲しい。そういえば、筑肥線を走っている4つドアの103系1500番代は唐津など停車時間の長い場合、三つのドアを閉めて車内が冷えるのを防いでいた。弱冷房車を考えてくれる関西の鉄道。暖房についても考えてみては。

 数人の乗客を乗せて発車。タタン、タタン…と軽快なリズムが次第に早くなる。車内には電光掲示板があり、JR西日本の旅行センター「Tis」などのCMがスクロール表示されている。

 ものすごく速い。さすが新快速と感心。しかし、スピードが速すぎたのか時間調整でしばらく停車。

「寒いな」

 乗客のそんな声があちこちから聞こえてきた。いくら東海道本線といっても乗客の乗り降りが少ない時ぐらい柔軟な対処をして欲しい。ドアの横にある開閉ボタンは飾り物か?

食事のできない京都

 速くて寒い新快速と京都でお別れである。京都では36分の時間がある。この乗り継ぎでは珍しい。食事をしようと思ったが、閉店の時間でだめ。ホームには帰宅するサラリーマンの姿が目立つ。駅前には巨大なスクリーンがあった。何かイベントでもあるのだろうか。正月のイベントかどうか分からないが、正月らしい感じがした。

 1ホーム2線から、新しく2ホーム4線になった山陰本線のホームで時間をつぶしていると、背の高い青年が火のついた煙草を手に近づいてきた。

「Oです」

 O氏だった。今はなき青函連絡船「摩周丸」の甲板で呑んで(私は牛乳で参加)どんちゃん騒ぎした一人である。実家が名古屋で大学が一橋だから東京なのになぜ京都にいるのか?

「母の実家が京都の花園にあって、そこで正月を過ごす事になっていたんだ。そして、近くを通るようだから出てきた」

 よくぞ年末にわざわざ出てきてくれたものだ。京都から花園までと距離は短いものの、N田氏の銚子―辰野に次いで二人目の参加者となった。これから先はどうなることやら。

 久しぶりの再会とあって話が盛り上がったが、あっという間に花園に着いてしまった。

 嵯峨(現、嵯峨嵐山)を過ぎると新しくなった区間を走る。保津峡の美しい車窓は過去のものとなってしまった。暗いから車窓は楽しめないがこの区間はトンネルばかりなのでさらに味気ない。

 電化工事と同時にホームの高さを上げる工事もしているようで、園部など「足元にご注意ください」のアナウンスがしきりに流れていた。

 胡麻で京都行最終160Dと交換。乗客も少なくなり、車内が寂しくなってきた。寂しい雰囲気の中で静かに雪が降っている。

 下山で寝台特急「出雲2号」と交換。機関車は重連だった。

 立木で「出雲4号」と交換すると、交換する上り列車はなくなる。

 駅に着く度に一人、また一人と下車していく。綾部で数人乗り降りがあっただけで、あとは特に変化はない。

 雪が雨に変わり、列車は福知山に到着。

 

福知山の焼きそば屋

 改札口でしいさん(この旅を企画した人)とH田氏に迎えられる。二人は城崎でちゃっかり温泉に入ってきたそうである。

 腹が減ったので、なにか買いに行こうとしいさんと深夜の福知山を歩き回る。店はほとんど閉まっていて、静まり返っている(深夜だから当たり前である)。歩き回っているうちに年が変わった。

 とても開いている店はないだろう、と思いながら歩いていたのだが、奇跡的にお好み焼き屋がなぜか開いていた。焼きそばを買う。得意顔で駅の待合室に戻ってH田氏に店のことを話すと、

「行けばよかった…」

 と落ち込んでいた。

 三人前買った焼きそばを見せると元気になった。現金なものだ。待合室で遅い夕食。果たして焼きそばは年越しそばになるのだろうか。

 それにしても待合室はものすごく汚い。乗客に混じって浮浪者風の人もいた。


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