東萩で二分停車。
「スタンプ、押せるかな?」
「ダッシュしたら何とかなるやろ」
「じゃ、押してくる」
よせばいいのに、列車から降りてしまった。
列車は3番ホームに到着。跨線橋を渡らないといけない。
間に合ったら奇跡である。
奇跡は、起こらなかった。
列車は私を残して発車していった。
発車ベルもなく、静かな発車だった。
よくもまあ、こんなマヌケなことをしたもんだ。列車乗り継ぎの疲れが出てきたのか、魔がさしたのか…。
次の列車まで一時間。
泣いても笑っても列車はないので入場券を買いに窓口へ。
「売り切れました」
ついてない。腹が減ったので駅の二階にある食堂で昼食。せっかくだから観光地の一つくらい見てこようと歩いてみたら、片道10分以上かかるのでやめる。
仕方ないので駅前で過ごす。
ん?
スタンプ帳がない!
歩いたと思われる所を探してみたが、見つからない。名前を書いていないので拾った人はもうけもんだろう。銚子から中央・東北をぐるりと回ってきた「ものすごい」スタンプ帳なのだから。全くついていない。
そのうちに列車はやって来た。
今度の列車が発車する時はベルがなっていた。東萩の発車ベルは気まぐれなようだ。出来れば鳴らして欲しい。鳴らしてくれていたら、乗り遅れなかったかも。
車窓の右手に美しい海岸線が広がるが、カメラがない。いや、楽しんでいるゆとりすらなかった。
長門市で1分の乗り継ぎ。島式ホームの反対側に客車列車が停車していた。山陰本線でもこんなにいい接続があるのか。
機関車はなんとオレカにデザインされていたDD51-1111だった。
小串あたりでは虹が見えた。正月に虹を見るということは縁起がいいのか悪いのか。あまりいいことが続いていないが、縁起のいいことと勝手に解釈しておく。
列車は綾羅木に到着した。
しいさんがホームにいた。
私の姿を見てあきれていた。新幹線と急行「由布5号」に乗れば、鳥栖で予定の列車に間に合う、と説明を受けながら新幹線の自由席特急券を受け取る。綾羅木駅発行の硬券だった。
下関でH田氏と再会。彼の足元に私の荷物があった。何となく疲れているようだった。私が乗り遅れ事件を起こしたために、小野田線の旧型国電(クモハ42型。2003年3月14日で廃止)を見ることができなくなったらしい。本当に申し訳ない。
H田氏とゆっくり話す暇もなく、ロングシートの電車に乗り込む。関門トンネルを抜けてついに九州入り。この旅も残り少なくなってきた。門司駅構内で電気が直流から交流に変わるデッドセクションを通過したが、車内は暗くならなかった。さすが新型車両。
小倉では7分しかなく、急いで窓口へ。急行券を乗り継ぎ割引で半額にするためである。JR西日本の窓口で新幹線の自由席特急券を見せて発行してもらう。250円ナリ。
ホームに出て間もなく、「こだま543号」が入線。
シートは新幹線開業以来の転換クロスシート。モケットは張り替えてあるが、座り心地は同じである。しばし懐かしい乗り心地にひたる。
薄暗くなった頃、博多に到着。やっぱり新幹線は速い。
しいさんは気分が悪いので、ここでまっすぐ実家に帰宅するようにした。改札口でしいさんと別れる。
ホームには急行「由布5号」が発車を待っていた。一般色(国鉄色)の車両が2両と、九州の急行の標準色となる車両が3両。この3両はアコモ改造車だった。禁煙車を探して乗り込む。自由席のシートもフリーストップリクライニングシートになっていた。前列のシートの背もたれにテーブルがついていて、特急の自由席よりもグレードが高い。
300円払うと指定席に乗れる。指定席はグリーン車のお古のシートである。どっちがいいのだろうか?シートはよくなった。しかしシートピットが広くなり、窓との間隔がずれている。窓とシートがいい位置関係になっているシートを見つけて座った。外は暗いのでどこに座っても同じだった。
さすがに鳥栖までは特急がガンガン走る区間とあって、快調に飛ばす。エンジンの音は力強く、軽快にうなっている。
基山を通過。乗る予定だった普通列車を追い抜く。
鳥栖に到着。夕食時で、駅弁を買ってあわてて乗り込む姿が見られた。
夕食用に「かしわめし」(600円)を買う。列車から降りてすぐ買ったので、
「『由布』に乗るの?」
慌てた様子で聞かれた。
ここで列車追っかけ乗り継ぎは終了。