生徒を連れて貧乏旅 95新潟編

新潟に行く必要があるのか?

高文連に応募した写真部の生徒作品がめでたく、福岡県大会で優秀賞を獲得した。

 来年の全国大会に出展されることになった。会場は新潟である。

 早速、新潟への出張旅費の請求をした。

 教頭から呼び出された。

「カネのでどころがない。本当に新潟へ行く必要があるのか?」

「……」

 はっきりとした返事が出来なかった。

 全国高等学校総合文化祭という行事に参加するのは初めてのことである。とても出発前の段階で何も言えなかったのだ。

 もし、どんなものか知っていたら、いろいろと説得できたのだが。

新潟へ行きたい

「おまえたち、それでも新潟へ行きたいか?」

「はい!」

自腹をきってでも行きたいという生徒が3人。

来年も、全国大会に出品できるとは限らない。できれば、このチャンスにかけたい、という気持ちが伝わってきた。

 そこで、安く新潟へ行く方法を考えた。

普通列車を乗り継げば、安く行くことができる。どうせ、遠くへ行くのなら、と少し観光の要素も加えた。

切符は「みなみ東北ワイド周遊券」を使う形でプランを立ててみた。しかし、どうも特急列車に乗る機会が少なすぎる。周遊券のメリットを活かせないので、「青春18きっぷ」を使うことにした。

新潟から大阪まで急行列車に乗るので、生徒には学割を一枚取らせておいた。

宿代も結構かかる。安いところを探した。新潟の宿は、生徒が安いビジネスホテルを見つけたので、早速予約した。仙台の宿はYH(ユースホステル)に泊まることにして、こちらも電話で予約した。

全行程67日の旅である。青春18切符を5日分使うので、生徒たちに「青春18きっぷ」を配っておいた。当時は一日が一枚とばらばらに分けることができたのだ。

こうして、ビンボー旅の準備が整った。

車内で合流、いざ出発

82日、大濠公園で花火大会。

撮影をして、翌朝には出発である。私のアパートに午前3時ごろ友人が遊びに来た。そのまま友人宅にお邪魔したので、友人宅の最寄り駅である鹿児島本線の竹下駅から旅は始まった。

小郡行きは8両編成で入線。後ろの4両は下関止まりだったので、前から4両目の車両に乗る。

香椎から西村君(3年生)が乗ってくる。ずっと前の車両を選んだようだ。

九産大前で坂口君(2年生)が乗ってくる。ホームを歩いているのが見えた。しかし下関行きの車両に乗ったようである。

筑前新宮に到着。私が乗るはずだった駅である。私の姿が見えないので心配しているかもしれんな…とホームを見ていると、N先生が暑苦しそうな顔で改札口へ歩いていく姿が見えた。補習を受ける生徒たちの姿も見えた。

東福間で坂口君が小郡行の車両に引っ越してきて、めでたく合流。

赤間に到着。村田君(2年生)が乗ってきた。

4両編成なら一番後ろの車両、8両編成なら前から4両目」

出発前に私が話しておいたことを村田君はちゃんと聞いていたので、同じ車両に乗ってきた。

村田君は車内を見渡している、というよりは通路の左半分しか見ていないようである。

私と坂口君は進行方向右手のクロスシートに座っていた。村田君は私たちを見つけることが出来ず、目の前の開いている座席に座った。

座りながらも、まだ車内を探していた。やはり視線は通路の左側。

不安になったようで行程表の紙を広げているところに、坂口君が声をかけた。

これで全員が乗っている事がわかり、一安心。遅刻するものは

一人もいなかった。

小倉の手前で村田君が西村君を呼びに行き、全員が揃った。

メモ帳合戦

関門トンネルに入った。

何を思ったのか、西村君がシェーバーを取り出して、いきなり自分のヒゲをそり始めた。

目を細めて首を振りながら、一通りそり終えると、シェーバーをぬっ、と突き出して、

「先生も使います?」

笑い転げて返事が出来なかった。

関門トンネルを抜けて、本州に上陸。

「センセー、下関ってどこですか?」

坂口がメモ帳を手に聞いてきた。メモ帳にはむちゃくちゃな日本地図が書かれていた。

生徒たちは本州から先は行ったことがないと言う。まだ旅は始まったばかりである。今のところ生徒たちはメモ帳にいろいろと書き込んだり、撮影したりと元気だった。この元気、いつまで続くだろうか。

通いなれた道といっては大げさだが、車窓から関門橋の見えるところ、カップヌードルの工場のある所などを教える。

小郡から岩国行にのりかえ。車内は「青春18きっぷ」で旅行していると思われる大きな荷物を持った若者の姿が目立つ。

クーラーが効きすぎて寒かった。

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